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【3】ターニングポイント
夜景
こんにちは、鈴木です。

人生には、いろんなターニングポイントがあります。
思いがけないきっかけで、
これまで想像もつかなかったことをやってみたり、
ピンチだと思っていたことが、
実は大きなチャンスの予兆だったり。

あなたの人生にも、これまで
いくつもの分岐点があったのではないでしょうか。
私自身もそうでした。

セラピストを目指す前、

同級生が立ち上げたファッションブランドを
パートとしてサポートしてきたをことを
前回お話させていただきました。

服飾関係の経験などまったくない私が、
ナンバー2として、デザインにも関わらせて頂くなど
仕事は順調、
周囲から評価もされ始めました。

ところが、
期待が高まれば高まるほど、
仕事への情熱が燃え尽きてしまいそうな自分がいました。

ナンバー2とはいえ、私はパートです。
当時は賃金も安く、
仕事は忙しくも、育児もあるので残業はできません。
それでも、自分の役割に
穴をあけるわけにはいかず、毎日自宅に持ち帰る状態。

そして、
じょじょに会社の中で
「自分の居場所がない」と感じるようになりました。

「鈴木さん、これはどう思う?」
とアドバイスを求められて、
意見をするも私の意見はまったく通らない。

このようなことが頻繁に続き、

「何のために仕事しているんだろう?」

と、苦悩する日々が続いたのです。

元来自己肯定感が低く、
ネガティヴに物事を考える性格が
さらに自分自身を追い込んでいきました。

自己肯定感が低い
完璧主義で人に頼れない
ネガティブ思考

このような私の性格を形成した背景には、
亡くなった父の影響が大きくありました。

私の父は航空自衛隊の教官でした。

その厳しさは半端なく、
しつけという暴力は、手だけではなく足まで出る始末。
どんなに努力して学校で成績が上がっても、
褒められた経験は一度もありません。

また、自衛官であったため 転勤も頻繁で、
小学校3年までの短期間に 7回もの転校を繰り返しました。

当時、心が満たされなかったことが後々まで響き、
成長するにつれ
人に嫌われたくない!
嫌われないためには、人と一緒で良い
人と違う事はしてはいけない!

という自分を作り上げていきました。

ですが、
当時の父の年齢を超えた今なら受け止めることができます。
その環境や父の厳しさこそが、私の原点なんだと。

私だけでなく、
多かれ少なかれ、誰しもが親からの影響を受け、
その当時の出来事がなにかしらの
心のブレーキとなっているのかもしれません。

私の場合、

自己肯定感が低いから、できない自分はなおさら認められない。
また「できる」の基準が高すぎて、
完璧を求めすぎてしまう。
これは未だに、
葛藤していることもあります(苦笑)

あなたは

「ビリーフ」

という言葉を知っていますか?

簡単にいうと、

こうしなければならない
こうあるべき
など、

自分が「これが正しい!」と思っている信念
のことをいいます。

親や環境の影響を受ける中で、
子どもの頃に必要だった「ビリーフ」は、
実は、大人になると必要がなくなることもあるのです。

たとえば、私の場合は前述のとおり
人に嫌われたくない!
嫌われないためには、人と一緒で良い
人と違う事はしてはいけない!

という信念を、
大人になっても握りしめていました。

このような、
「もう不要な信念」をいつまでも手放せずにいたり、

気づかないうちに私たちの心のブレーキとなり、
仕事や人間関係も思うようにいかない
なんて事が起こりかねないのです。

話をパート時代に戻すと、

この時、
実はアパレルでの仕事以外に
ディスプレーの仕事や
アレンジメントフラワーのアシスタントの仕事
ラッピング講師
なども務めていました。

自分で決めたこととはいえ、
家事・育児と多忙で寝る時間を削り、自分の自由な時間さえない状態。

心にゆとりがなければ
なおさら物事をネガティヴに考えてしまいますよね?

自己肯定感の低さからくる私の自信のなさは、

幼少期の「ビリーフ」と
心のゆとりのなさが大きな原因でした。

こうして余裕のない日々を送っているうちに、
何のために生きているのかさえわからなくなりました。

そんな中、
あれほど私に厳しく、強かった父が
末期ガン
の宣告を受けたのです。

あれだけ私にきつく当たり、
自由奔放に生きていたはずの父が、

死期が近づく中、

病床で
涙ながらに
自分の人生を後悔する姿を目の当たりにしてしまったのです。

何をやっても認めてくれず、
まるで暴君のように、好き勝手に人生を謳歌しているように
見えた父が、

死が刻一刻と近づく恐怖の中、

「自分の人生はこれで良かったのか?」

と。

この姿を見たとき、
「もしも今、自分の身に同じことが起こったら
父の何十倍も後悔するだろう」

震える身体をぎゅっと抱きしめながら、

自分らしく生きること

の大切さに気づかされたのです。

また明日があると思っているから、大事な決断を先延ばしにし、
また明日があると思っているから、今日のこの日を我慢してしまう。

こんな日々はもう送りたくない!
この時から、何かのスイッチが入ったように
自分にとっての生きがいを探し始めました。

とはいえ、もちろん簡単に見つかるわけがありません。
父を亡くし、
自分探しに迷走する中、疲れ果てた私はある日、
ひょんなきっかけから

カラーセラピー

を受けることになったのです。
これが私とセラピー、そして

セラピスト

との、初めての出逢いでした。
これが今の仕事にもつながる、大きなターニングポイントになったのでした。

私の個人的な背景はここまでです。
長かったですよね(苦笑)

次回からは、ここから先の経験をふまえながらもう少し
セラピストの仕事、
そして、「プロセラピスト」としてのあるべき姿に迫っていきますね。
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